仏教が教えてくれる大根焚きの温かさ

仏教が教えてくれる大根焚きの温かさ

平城京から平安京。
遷都の物語に、幻の都があったと言う。
教科書にも載らない都の名前―長岡京―。
そんな幻の都があったここ京都府長岡京市から、京を切り取る今日のいろ。

仏教が教えてくれる大根焚きの温かさ

冬の京都。
底冷えが始まる12月。
京都の街中から少し離れ、住宅街の中を進むと、ブルーベースの曇天の下、壁の向こうから、もうもうと白い湯気が立ち込めています。
ここは、真宗大谷派 法輪山 了徳寺
毎年12月8日9日に行われる大根焚の日には、たくさんの人が訪れます。

冬になると京都市内のあちらこちらの寺院で、煮た大根を参拝者にふるまう大根焚きが行われます。
無病息災、開運招福、厄除けなど、大根焚きの言われはそれぞれ違いますが、煮込まれたあつあつ大根をいただけるのはどちらも同じ。
京都市右京区鳴滝にある了徳寺で行われる大根焚きは『鳴滝の大根焚(だいこだき)』と呼ばれます。
煮込まれる前の大根はみずみずしく、しゃっきりとしたブルーベースの白。
庫裏の大鍋で、塩としょうゆでじっくりと煮込まれた後の大根の色はこっくりイエローベースの白。
庫裏の中は大鍋から出る湯気でもうもう。
大根をお椀によそったりと、人もせわしなく動いています。

壁の外から見えた白い湯気は、お庭の釜場で沸かしている大量のお湯の湯気。
お庭では、そのお湯でお椀を洗ったり、お斎(とき)用の具材を切ったりとあわただしい。

そのうち、近くの小学校らしき中学年ほどの一団が、先生に引率されてやってきました。
整列をして住職さんのお話を聞いています。

「これからみなさんには、大根焚の大根を食べてもらいます。
今から750年前、親鸞聖人と言うえらいお坊さんがいて、ありがたいお話をしてくれました。
お礼に塩で煮た大根をご馳走しました。
それを忘れないように、今でも大根焚をします。」

親鸞聖人は大根をご馳走になったお礼に、すすきの穂の束を筆代わりとして、鍋の残り煤で「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を残されたとか。

お話を聞いた後、静かに本堂に入って行く子どもたち。
本堂の入り口では色鮮やかな靴たちが、きちりんとご主人を待っています。
淡い冬色の風景の中に浮かび上がるその色鮮やかな靴たちからは、子どもたちのエネルギーさえ感じます。
「はきものをそろえる」ことは、仏教の教えの一つでもあります。

本堂にはご本尊の阿弥陀如来像。
本堂に入ってくる人たちは、入り口で拝観順序の説明など受けていないのに、まっすぐにご本尊の前に来て、座し、静かに丁寧に手を合わせています。

本堂の入り口の扉は開けっ放しで、冷たい冬の外気も入り放題。
そんな本堂でいただく大きな油揚げも入った大根のお椀からは、あつあつ湯気はすぐになくなってしまうけれど、阿弥陀如来に手を合わせるときと同じよう手を合わせて。

いただきます。