濡れる苔の庭、緑色にひっそりとひっそりと

平城京から平安京。
遷都の物語に、幻の都があったと言う。
教科書にも載らない都の名前―長岡京―。
そんな幻の都があったここ京都府長岡京市から、京を切り取る今日のいろ。

雨に濡れる苔の庭、緑色にひっそりとひっそりと

 

そして、祇王、妓女、二人の母の刀自(とじ)、仏御前は尼となり、奥嵯峨の粗末な庵で、朝夕念仏を唱えるのだった。

 

ここ奥嵯峨の祇王寺は、ひっそりと、ひっそりと。
そぼ降る雨、木から、葉から、しずくが落ち、静けさが落ちる。
流れる小川のその先には苔の庭。
仰いだ先の葉の色、目線を落とした足元の苔の色。
ここは悲しい青々としたいちめんの緑。

 

平家物語『祇王』の舞台と言われている祇王寺
祇王たちが登場する平安時代、「緑(みどり)」という色の名前はまだ生まれていなかったので、緑も青も「青し」という色の名前で呼ばれていた。
だからこの庭は『青々とした緑』色の苔の庭。

 

緑色の部分に日が当たると、黄みがかって明るく見えるイエローベースの緑となり、あたたかく、やわらかい色となる。
日の当たらない日陰の部分は青みがかって暗く見えるブルーベースの緑となり、涼しく深い色になる。
雨空の雲の切れ間から刺した日に照らされた苔は、イエローベースの緑の庭を作る。
が、それも一瞬、さっと雲が日を遮り、またどんよりとした、それでもみずみずしい苔はブルーベースの緑の庭となる。

 

同じ緑の苔でも、太陽の日の光が見せる、自然な色の変化。
この変化を色の法則として確立したのは、19世紀アメリカの自然科学者ルードだったのであるが、12世紀の祇王たちの時代でも、日が照ればイエローベースの苔の庭。
日が陰ればブルーベースの苔の庭であったに違いない。

 

 

静かな苔むした庭、つくばいの水の音。
小さな草庵の中にある仏間には木造の像。
祇王、妓女、刀自、仏御前と、平清盛がご本尊の大日如来と共に、静かに安置されている。
草庵の奥の壁にはまぁるい吉野窓。
外から光が入ると、虹色に見えると言う。
手前の軒下には水琴窟。
とぎれとぎれに聞こえてくる、しずくが落ちる小さな音。

 

音までも吸収してしまいそうな苔の緑。

 

奥嵯峨の悲恋の寺の祇王寺は、街の喧騒は遠く、街からの音も緑の木々がすべて取り込んでしまっているかのような静寂。
しとしとと降る雨は、街や木々、葉も苔も洗う。

 

色は緑の苔の庭。
天気の良い日は明るい黄緑で気分も晴れやかに。
雨が降る日は深い青緑の庭。
同じ緑の苔の庭でも、照る日曇る日繰り返し。
今日の日、一日でも日は照り日は陰る、まさに諸行無常、栄枯盛衰。

 

いちめんの緑。

 

きょうの色

苔色:くすんだ黄緑色

杉原康子ライター:杉原康子
【資格など】ベースカラー診断士、パーソナルカラーアナリスト、CLEインストラクター、A・F・T 1級色彩コーディネーター、長岡京生涯学習人材登録講師、中国国家認定 中国茶芸師(プロフィールページへ